推しのATMになりたい日常

推敲しない女です。

ナルステを終えて――『FROGS』の松岡広大が「推しの」松岡広大に変わるとき


ライブ・スペクタクル『NARUTO -ナルト-』のDVD発売記念イベントに行ってまいりました。
今年3月21日、東京・渋谷AiiA theaterで開幕し、福岡、大阪、宮城、東京凱旋、マカオ、マレーシアを経て6月10日シンガポール・リゾートワールドセントーサで幕を閉じた今作品の集大成が、本日8月26日にDVDとして発売されました。(ちなみに会場予約分もHMVアニプレックス分もまだ私は受け取れておりません。)
今回は、その最後のお祭りとも言えるイベントでした。

今日は、そのナルステで初主演を務めた松岡広大くんについて、そしてナルステについて、取り留めもなく書いてみようと思います。
(今回は考察というよりほとんど彼と作品への想いを綴ったどうでもよいお話です。)

広大くんを初めて見たのは、2013年に上演された舞台『FROGS』再始動初演の時。正確に言うと、公演までの間に放送されていたアミューズUstream動画『FROGS-TV』で彼の姿を見たのが最初でした。*1
平埜生成くんが出演するということで、できる限りのチケットを押さえつつ*2、雑誌やUstreamをチェックしていたのがそもそものきっかけです。

『FROGS-TV』でのふわふわとした喋り方、目を離すとふらりとどこかへ行ってしまいそうな捉えどころのなさ、小関くんや溝口くんへの末っ子らしい甘えを孕んだ態度。座組の中で最年少というのも頷けるような振る舞いと、意志の強そうな大きな瞳にギャップを感じつつ、それでも総じて可愛い俳優さんという印象でした。

でも、再始動公演の再演の千秋楽を見届けたあと書き記していたキャストひとりひとりのメモには、彼について私はこう書いていました。

実は一番よく分からない。
天才肌で、自分にも人にも割と厳しい。あと自意識高い。その分自己分析も年の割にかなり出来ている方なイメージ。自分のどこが人に好かれるのか理解してそう。でも実は全部天然だったらどうしよう。
物事の好き嫌いがはっきりしてて、好きなものにはとことんデレデレ。(ex.佐藤健
ダンスはほんとすごいなあと思う。あのちっこい体のどこにあんなパワー隠してるんだろ!

私が公演前に抱いていた印象と、公演で見た彼の姿は、まったく別物でした。彼が演じたアマネの、力強いパフォーマンス、(末っ子っぽさは変わらないけれど)可愛いというより生意気で真っ直ぐな性格。それは、彼の大きな瞳が持つ意志の強さを引き出したかのようでした。
きっと会場中の多くの人が彼の目に、パフォーマンスに、惹きつけられていたと思います。『FROGS』という若者たちの様々な魅力を贅沢に詰め込んだ作品の中で、「まばゆさ」を担っていたのが彼でした。

ちなみに初代『FROGS』はDVDで観ています。その時は自分の中にうまくはまらなかったのですが、再始動を観て「この作品の本当の素晴らしさは、あの日あの時間にあの公演を共有した人にしか分からないのだ」と感じました。
再始動初演のとき、彼らの行く末はまだ見えないままでした。アミューズに既に所属していた四人はまあ心配せずとも今後お仕事を観せてもらえる機会はあるだろうと思っていましたが、残りの四人に関しては、そのままアミューズに所属するのかも、いまこの時を逃せばいつその姿を見られるのかも、分かりませんでした。
ある種の焦燥感のようなものを抱きつつ、けれどもきっと輝かしいであろう彼らの未来を信じて、その一瞬のきらめきを目に焼き付けようとその作品を必死で見つめていたのを覚えています。
私は初代に出演していたキャストたちが、それからどのような道を歩んでいったのかを今だからこそ知っています。
けれども、きっとその当時作品を見つめていたファンの目には、まだ若い彼らの何にでもなれる・何でもできる可能性に満ち溢れた未来が見えていたのだと思います。それこそ、『FROGS』が伝説と呼ばれるような作品として、観客の胸に刻まれている一つの理由なのかもしれないなと思っています。

……話が逸れました。
「よく分からない子」という広大くんへの印象を抱いたまま舞台『FROGS』を終え、私は「蛙ちゃんたちはみんな推しだよぉぉ;;」と半狂乱になりながら、その後の彼らを追いかけました。
アミューズ所属の四人はもちろん、山下銀次くんと太田将熙くんが所属した劇団プレステージUstreamを息を呑んで見守ったり、小池成くんが所属するダンスユニットのイベントに足を運んだり、三本健介くんのソロライブを観に行ったり*3、当時の彼らの活動はほとんど漏らすところなく見ていたと思います。

その当時の私にとっては、松岡広大くんだけが特別ではなく、『FROGS』の蛙たちみんなが特別でした。テニミュで広大くんが遠山金太郎役に決まった時も、だから嬉しかった。めちゃくちゃ興奮しました。*4
でも「広大くんだから」ではなく「『FROGS』の広大くんだから」、私は追いかけていたのです。

それが「広大くんだから」に変わったのはどうしてだったのか。
それは、安西くんの記事でも書いた「生々しさ」に触れたからでした。彼が演じるキャラクターの「生々しさ」、そして「よく分からない子」だった広大くん自身の「生々しさ」。
特に後者の「生々しさ」――要するに彼自身の人となりに触れたことが、大きなきっかけだったのだと思います。
……はっきりと断言しないのは、自分でもいまいち彼が推しになった瞬間を思い出せないからです。

私がテニミュ四天公演を観たのは2014年になってからだったので、『FROGS』のあとに彼の姿を目にしたのは2013年12月の舞浜アンフィシアターアミューズ事務所年末恒例の若手俳優イベント『SUPERハンサムLIVE 2013』でした。
プライズゲストとして登場した彼を観た瞬間、膝から崩れ落ちそうになるほどの謎の感動に震えました。赤い衣装に身を包んだ彼は、先輩たちに負けないパフォーマンスで観客を魅了しながら、心から楽しそうに舞台上を駆け回っていました。

――これが、松岡広大なんだ。

「よく分からない子」だった彼が、一瞬のうちに、生々しく、私の心の中にすうと入り込んできました。
それが、多分、私が初めて彼自身の「生々しさ」の一端に触れた瞬間だったのだと思います。これがきっかけだったらいいなという、私の願望でもありますが、とにもかくにも四天公演を初めて観た時のツイートでは、もう既に松岡広大が私の推しになっていたのようでした。ドリライを終えた時の気持ち悪いほどの熱狂っぷりがそれを物語っています。

推しが尊いと世界に謝罪し事務所に感謝し始める癖があります。

そして迎えたライブ・スペクタクル『NARUTO -ナルト-』のキャスト情報解禁。
福岡・マカオ・マレーシア公演は都合がつかず行けなかったのですが、幸運な事に東京・大阪・宮城・東京凱旋・シンガポール公演での千秋楽を見届けることができました。*5

公演初日に初めてナルステを観た時は、その演出の奇抜さに度肝を抜かれました。映像や効果音を多用した作りの作品は、まさに「ライブ・スペクタクル」と呼ぶべきステージで、最初「演劇」を観に行くというスタンスで劇場に足を踏み入れた私は「演出が過剰すぎて役者のよさを殺している」と本気で思っておりました。
ところが翌週二度目の観劇で、その印象が驚くほど変わったのです。ナルステは「演劇」ではなく「ライブ・スペクタクル」なのだという前提でナルステを観た途端、その演出も含めた作品がすっと私の中にはまりました。今となっては、もうこの演出あってこその国民的人気作品の舞台化だったのだと思っています。
それでも原作の約半分を2時間半に凝縮したことによる駆け足感は否めませんでしたが、広大くんを始めとするキャスト全員がそれを補っていたように思います。

シンガポール千秋楽を終えて、私は広大くんのナルトについてこう語っていました。



私は、彼の演じるキャラクターに、彼が「生きてきた実感」「彼が生きている実感」――「生々しさ」を感じました。

そしてなにより、ナルステを通じて、私はハンサムライブの時のように、彼自身の「生々しさ」にも触れることができました。
「よく分からない子」だった広大くんの姿が、いまの私には幾分はっきりと見えるようになった気がします。


DVDイベントで広大くんはナルトという役を演るにあたりそのキャラクターのように「稽古場から恥をかいてきた」と話していました。包み隠さず、自分のことを曝け出す。その姿勢を通して、もしかしたら私たちの側にも広大くんの「中身」が見えていたのかもしれないと思います。

初の座長公演、

稽古場に足を踏み入れ、座長として右も左も分からない僕は周りの皆さんがとにかく環境の良い中で伸び伸び演舞出来るようにと、常に周りを見てきました。

キャスト一人一人を見て、その人がどんな方なのか、一挙手一投足見逃さず意識していました。


勿論、上手く行かなかった事もあります。


然し乍ら、試行錯誤してみんなの為に尽くせて僕は本当に幸せでした。

苦悩の先には|松岡広大 オフィシャルブログ「liberal」Powered by Ameba

このブログの「尽くす」という言葉が、私にはなかなか衝撃的でした。
けれども同時に、そうだ、私が2年半見てきた彼はそういう人だったのだ、とその「生々しさ」がより実感を持って迫ってきました。


広大くんが言う「誰にも負けないパフォーマンス」とは、与えられたものを、求められる以上に追及していく、負けず嫌いで妥協を知らない真面目さによって生まれていくのかもしれません。
「誰にも負けない」高みを目指すということは今の自分に決して満足しないということです。今ある自分を出しきりながら、「まだ自分にはできることがある」と考える、どこか仄暗さや危うささえ感じる彼の意志の強い言葉。
けれどもそれこそが、明るい陽に当たった部分だけではない人となりが、私の目に映る彼の「生々しさ」を際立たせ、ますます私は彼に惹かれました。
そして、各キャストの言葉が、私の目に見えている「松岡広大」像をリアルなものとして裏付けてくれます。

一番大変なのに
周りを気にして頑張るナルトと

作品をよくする為に努力し続けて
嘘はつかないサスケくんと

私達が思い詰めているタイミングで
力を抜く場をいつも
作ってくれるカカシ先生

と一緒に頑張る時間が
私にとっては幸せでした(^ ^)

「NARUTO」DVDイベント|伊藤優衣 オフィシャルブログ 「yui blo」 Powered by Ameba

そんでナルト。本当広大は今回よく頑張った。1番近くにいたから何でもわかるし多分広大もオレの事何でもわかる。かな?
稽古の途中くらいから一切話し合いもしてないのに芝居やアクションの動きがピッタリ合致する場面がたくさんあってビックリしっぱなしでした。
本番になると(ダジャレです)更にそれが顕著に表れて、週末の谷のシーンなんてほとんど何も話さなくてもお互いが考える事が手に取るようにわかってしまっていました。

http://amba.to/1QMEFla

三代目火影役の平川和宏さんのブログに、こうあります。

主役である彼の役割は当然
他の誰よりも大きいし重い。
彼の出来の良し悪しが
この芝居を大きく左右する。
それを十分理解している。
その上で彼はチームの力を
強調する。

カンパニーのほぼ最年少にも拘らず、
皆を束ねていくリーダーシップ。
誰よりも真摯に役と向かい合うその姿勢は
カンパニーの雰囲気にも影響を及ぼす。

松岡広大という男|おじ屋

皆が彼の為にひとつになろうと
前のめりに舞台に向かっていく。

何度ものスタンディングオベーション
決してフロックではない。
博多でも大阪でも

「 皆、見て見て
嬉しくって足が震えてる 」

と、君はとても喜んでみせたけど、
それが、スタッフもキャストも皆の力だと
君は思いやってくれたけど、
皆はその中心に君がいることを
ちゃんと知ってるからね

松岡広大という男|おじ屋

この素晴らしい作品の中心には間違いなく広大くんがいました。それは私たちも知っています。
けれども彼は決して驕らない。それも知っています。
『FROGS』のときに私がイメージした「天才肌」は努力に裏打ちされた実力で、「末っ子のような愛らしさ」と同居するのは責任を一手に追う生真面目さで、それが彼の「生々しさ」。それが松岡広大という人の、リアルだった。

私たちが見える役者の姿は、彼らのほんの一部です。それは重々分かっています。
でも、私に見えたほんのわずかな彼の一端に、何偽りないリアルを感じたからこそ、そしてそこを信じられたからこそ、私は推しとして彼のことがもっと大好きになったのだと思います。


……こうして推しのことを考えていると、私はつくづく「人間」というものが好きなのだなと思います。観劇に通うのは「人間」を見に行っているのだなあと。

そう考えると、シンガポールでの観劇は刺激的でした。
普段2.5次元ミュージカルを観劇に行くとき、知っている漫画原作が少ないということもあって、私は役者をきっかけにしていることがほとんどです。観劇は、ほとんどの場合、私にとって役者という「人間」を観に行く行為です。*6
私以外の観客にも、そういう方が多くいらっしゃるでしょう。
けれども海外での公演は違います。シンガポール公演の観客は、ほとんどが現地の方や原作ファンの方で、役者ファンと思われる日本人は一握りでした。


日本とは違い、劇中にも客席では歓声が飛び交っていました。コスプレ姿の方も多く見かけました。100%キャラクターとして見られる海外での公演は、日本とはまた違ったプレッシャーや緊張感をもたらしていたと思います。その中で、キャストの皆さんは、そして広大くんは、キャラクターそのものとして、その「人間」としての姿を私たちが求める以上のクオリティーで見せてくれました。

私はこのカンパニーが大好きです。
そして、このナルステを通じて知ることができた、松岡広大という役者が好きです。


結局、私はこの記事を通して何を書きたかったんでしょうか。広大くんのここが好きだ!って言っておきたかっただけなのかもしれません。
この記事を書くのになぜか三日ほど要してしまいました。

真面目で、責任感が強くて、プロ意識が高くて、負けず嫌いな広大くん。彼が次にどんなパフォーマンスで私を驚かせてくれるのか、そしてどんな彼自身の顔を見せてくれるのか。今から本当に楽しみでなりません。
だからやっぱり役者ヲタクはやめられないのです。

DVDの特典をみたら、また別の感想や印象を受けるかもしれないので、その時は改めて文章を認めようかと思います。


*1:本当に正確に言えば、初めて彼を見たのはドラマ「眠れる森の熟女」です。綺麗な顔立ちの子だなと思って名前や所属も調べていたのですが、「これが松岡広大だ」ときちんと認識した上で彼を見たのは『FROGS』なので、初めてはこちらということにしておきます。

*2:とは言えキャパのためなのか初代FROGSがアミューズオタクの中でも伝説の公演と言われているからなのかチケット取りには苦戦し、初演再演と合わせても一桁ほどしか観に行けなかったのですが。

*3:彼らのイベント会場の客席で、他の観客に負けずノリノリで応援していた蛙たちの姿が見られたのは良い思い出です。泣きました。

*4:金太郎は、当時原作をほとんど読んでいなかった私が、四天宝寺の中で唯一本誌で見ていたキャラクターでした。

*5:またもやお恥ずかしいお話ですが、NARUTOの原作も読んだことがなかったので、今回は事前に電子書籍で一気に全巻読みました。

*6:今年秋より開幕する「ハイキュー‼︎」に関しては役者や脚本の中屋敷さんが好きというのはもちろんですが、数少ない原作が好きな作品なので、違った見え方になるのかもしれません。

推しを推しながら思う6つのあれこれ

初めての投稿が安西くんへの気持ち悪い愛を語った文章だったのでもう今更感がありますが、少し自分のことを話してみようと思います。

どうも改めましてATM野郎です。
まだまだATMと名乗るには未熟者すぎる私ですが、若手俳優とファッションやメイクと文学が好きな女です。
普段はざっくり言うと商品を作るお仕事をしていまして、休日は舞台観劇やショッピングやファッション系・オタク系のイベントに出向いたり、本を読んだりDVDを見たり、部屋を片付けたりなどして過ごしています。

若手俳優においては、まだまだ五六年の歴のしがない新参者です。いわゆるDDと呼ばれる種の人間でして、推しの数が年々増えていくのが目下の悩みでございます。
最近新たに二人も娶ってしまったので、本当に推し増えすぎじゃね??と思うばかりです。
……と、娶るとか嫁とかそういう表記をすることもありますが、ガチ恋勢ではありません。推しは可愛い可愛いと愛でる対象なので、リアルなタイプはまた別のところにあります。
そして推しに認知してほしいファンサしてほしい接触イベ行きたいという欲求もなく、寧ろこんな気持ちの悪い私なんて彼の視界に入らなければいいのに!と最前に入りながら思う種のオタクです。とかなんとか言いつつ接触イベにも結局赴いているのは、推しに金を払う機会があるなら行くしかねえ!というATM精神からですね。
ただ服やオシャレが好きなので、推しに好きな格好をしてほしいという欲求はあって、プレボはまあまあ活用しています。

はてさて自分のことを話すとなると何を書けばいいのかと悩むところですが、とりあえず若手俳優ヲタとして自分の中で思っていることなどをいくつかお話してみようかと思います。


・推しが推しでなくなるとき、その理由は彼ではなく自分にある
推しが推しでなくなるのには、人それぞれ色々な理由があると思います。多分、本当に彼の何かが原因で推せなくなることもあるでしょうし、それは決して悪いことではありません。実際私も今後そういう時が訪れるかもですし。
ただそんな事があっても、砂を掛けて降りるようなことはしたくないとだけは思っています。
つい最近、私は数年追ってきた劇団の観劇に一区切りつける事にしました。思うことは多々あれど、最大の理由はきっと私の中にあると思っています。
私はとにかく飽き性だから(俳優好きが五六年続いているのが奇跡のようなものです)、とか、日々経験し年を重ねる中で私がほしいものと彼らが求めるものが合致しなくなってしまったのかな、とか。必要以上に考えてしまったりして、娯楽だからもっと気軽に楽しめばいいのに重い女です。
でも、砂を掛けて終わりたくないというのは、推しだった彼のためとか今も推しだった人を愛している人のためとかそういうことより、一度は彼を推しだと思ってお金を払っていた自分を否定したくないからなのかもしれません。

・取らぬチケットの後悔より取ったチケットの後悔をする
これは単純に「チケットとればよかったー!」ではなく「行かなきゃよかったー!」と言いたい、という話です。
チケットを取って、実際観劇して、それで後悔したとしても、それを見た時間や経験は確実に自分の中に蓄積されます。たとえマイナスの感情を掻き立てるものでも、自分の財産になる。それを基準にしてより自分が観たいものをより上手く選ぶことができるようになるかもしれないし、必要ないと思っていたその観劇経験がいつか役立つ時がくるかもしれない。
迷ったら行く、を許される限り選択したい。もちろん限られた財力の可能な範囲内で、ですが。

・人に誘われたら時間の都合がつく限り断らない
若手俳優を追っていると先々の予定が早々に決まってしまって、それ以外の予定が入れづらいですよね。
私は基本はコミュ障の出不精なので、観劇の予定が詰まってくると、どうしても友人や先輩の誘いに応えるのが面倒だなあと思ってしまいます。その上、興味のないことに時間やお金を割くのは無意味だと思って、放っておけば仕事と観劇と一人遊びで一年を過ごしてしまうタイプです。
その自覚があるからこそ、あえて人の誘いにはできるだけ応じるようにしています。私はほとんどお酒を飲まないのですが飲みの誘いや合コンも予定が空いてれば断らないし、全く興味のないスポーツ観戦も予定が空いてればお金を払って見に行きます。その時はリアタイしたいドラマがあっても諦めます。
正直面倒くさいし、その暇があるなら推しの情報をツイッターで漁りたい、というのが本音です。でも私が動かない限り、今は興味もない・知らない世界に踏み入れるきっかけをくれるのは、そうやって誘ってくれる人しかいないのです。自分の引き出しはいくらあっても足りないくらいなので、そうして人に頼りながら少しでも増やしていきたい所存です。

・推し事が被ったら、それを逃したらより後悔する方を選ぶ
これだけ推しが多いと、公演やイベントが被ることもままあります。推しの中でも一応優先順位はつけているので基本的にはそれで判断しますが、時にはその優先順位を違えてでも、あるいは推し以外の公演やイベントでも、いつもとは違うものを優先することがあります。
その時の判断基準が「それは一度逃したらもう二度と見られないかもしれないかどうか」です。もちろんどの公演もイベントも、生である限り、二度と見られない事に変わりません。でも「推し」だから、という義務感で観に行くのではなく、「後悔しないために」観に行きたい。
だから推しが一人も出ていないのに、公演期間や題材やキャストによっては、推し事よりも優先して見に行くものもあったりするのです。

・自分にとっての一番が推しにとっての一番とは限らない
色々なところで言っている話なのですが、観ている側の熱量と観られている側の熱量は必ずしも一致せず、そこが一致するということは寧ろ奇跡に近いんじゃないかしらと思っています。
役者さんは日々仕事として色々な舞台やイベントや撮影を行っていて、それ以外でも様々な経験をしていて、私が観られるのはそのほんの一部に過ぎません。私にとっての大切な公演が、彼にとってもそうだとは限らない。
だからこそ、自分が良いと思ったものには、お金を払ったり、アンケートを書いたり、言葉で伝えたり、目に見える形できちんと意思表示をしたい。
その話を知人にしたら「随分謙虚だね」と言われましたが、謙虚というよりは、もし本当にそうだった時、ガッカリしたくないだけなのだと思います。

・自分と世間の評価がズレていたら、それが何故か「知りたい」と思え
ツイッターで評判の良い芝居や、若い子たちが絶賛した作品に、どうにもうまくはまれないことがよくあります。もちろん作品は自分の価値観で捉えていいものだと思うので、だからと言って無理やり評価を変えようだとか、無理やりスタンディングオベーションしたりもしません。
でも、周りと自分の意見が違うとき真っ向から否定するのではなく、なぜそうなのか「知りたい」と思います。自分以外の人が何に感動し、何に心を惹かれたのかを確認することは、自分の価値観が客観的に見て一体どういうものなのかを知る手がかりになります。まあ実際に調べることは少ないですけどね。仕事柄というのももちろんですが、自分がどういう人間なのか私はいくつになっても知りたいのです。


……なんだかんだと取り留めもなく長くなってしまいました。
こうしてみると、私は色々と面倒くさい人間だなあと思わざるをえません。
ただ割とやりたいようにやっているようなので、趣味に対する姿勢としてはまあ悪くないんじゃないかなあと思います。

そんなこんなで明日はナルステDVDイベントに行ってまいります。
東京からシンガポールまで見届けた作品の、本当の最後を、じっくり堪能したいと思います。


安西慎太郎の「生々しさ」の色気について、交々――安西猿比古に踏まれたい人生だった


ということで、舞台『K』千秋楽おめでとうございます。お疲れ様でした。
皆さんもご存知の通り千秋楽ではトラブルがあり、それについて感じること思うことも色々とあったのですが、それはここでは触れずにおきます。



さて。初めての投稿ですが、突然安西慎太郎くんの話をします。

安西くんのお芝居を観るたびに、その「生々しさ」から匂い立つ色気に心を奪われます。
彼の演じるキャラクターには、いつも生々しい精神や感情と生々しい肉体とそれに伴う生々しい生活があって、それはともすれば彼が今までに出演してきた2.5次元ミュージカルと呼ばれるものの中では異物になるかもしれない……などと素人目に思ったりもしますが、私はそこから生じる色気に惹かれてやみません。

私が安西くんに出会ったのはテニミュ四天公演でした。*1
それまでにもテニミュに触れる機会はあったのですが*2、自分の意志でチケットを購入して観劇したのはあれが初めてです。

そのきっかけが舞台『FROGS』で運命の出会いを果たしてしまった松岡広大くんにあったことは今は置いておいて、とにかくそこで私は初めて安西くんのお芝居を観ました。
恥ずかしながら、私はオタクを名乗っているわりにアニメや漫画にあまり触れてきていません。なので、女子たちが愛してやまない『テニスの王子様』という作品も実は通ってきていませんでした。白石蔵ノ介というキャラクターも、名前とビジュアルは知っていましたが、その時初めてきちんと目にしました。

「なんだこのエロい腰つきで、中学生らしからぬ歌を歌ってる子は💢💢💢」

……と衝撃を受けたと記憶しています。
その時はまだ広大くん演じる遠山金太郎を追うことと世界観に着いていくのに必死で、あまり白石のことは見られていなかったのですが、それでも『エクスタシー』というとんでもない曲のことは覚えていました。
観劇を終えたあと、連れと興奮しながら会話をする中で、一言二言、白石のことにも触れたと思います。でもそれだけでした。本当は、そりゃあもうめちゃくちゃに、もうめちゃくちゃに心を奪われていたのですが、それを口に出すのが何故か躊躇われたのです。

今思えば、「松岡広大を見に行った手前」というよく分からないプライドのようなものも勿論あったのですが、何より彼に「生々しい色気」を感じたからかなと思います。
安西くんが演じる「白石蔵ノ介」は、泥と汗の匂いがするれっきとした中学生でした。*3
白石が普段どういう生活を送り、部員たちやテニスに対してどのような感情を抱き、生きてきたのか――という人生そのもの。あるいは、中学生が持つ青さや痛さ、強さや弱さ、そしてどこから生じているのかと思うほどの眩さ。弛まぬ日々の努力で鍛え上げられた体と、自信と不安が共存する心。
そういう、リアルで生々しい中学生の肉体と精神が、安西くんの演じる白石にはあったように私には見えました。
きっと彼の白石は、毎日食事をするし、眠くなればベッドに横になるし、トイレにも行くんだと思います。
当たり前の事のようだけれど、当たり前ではありません。だってアイドルはうんちしないじゃないですか。虹色のマシュマロを生むだけじゃないですか。

そんな生々しく生きる中学生の青春のほんの一コマを切り取ったのが、安西くんの白石が生きる『テニスの王子様』でした。
だからこそ、あの中学生“らしからぬ”楽曲『エクスタシー』に、私は口に出すのをはばかられるような「色気」を感じたのだと思います。
だって、中学三年生の男子が、腰をくねらせながら恍惚とした顔で「エクスタシー」とか言うんですよ。そんなの絶対エッチだけど!エッチだけど!二十半ばの女子がそれを好きだと口に出したら犯罪の匂いしかしないじゃないですか!*4

結局、私が「安西慎太郎推すわ」と公言できたのは、全国立海東京公演後に、初めて一巻から新テニまでを読んだとき、原作の白石蔵ノ介を知ったあとのことでした。
原作の白石は、生々しいというよりTHE二次元の王子様という感じの、麗しいビジュアルに突飛な設定、とてもチャーミングな性格の、フィクションの中での『普通の中学生』でした。*5
トイレは行くのかな?どっちかっていうと虹色のたこ焼き生産派かな?というイメージです。
もちろんトイレで立ちションするような「生々しさ」を持った中学生の白石くんを想像するのも私は大好きですが、それでも原作での彼はその「生々しさ」とは少しばかり別のところにあるように感じたので、「ああ、私が『白石好き』と言っても変態扱いされない素晴らしい世の中であった」と安堵したとともに、「あの『生々しさ』は安西くんが演じるからこそだったのだ」と思い知ったのです。

今まででリアルイベントでこんなに泣いた事があっただろうかというほど嗚咽しながら参加したドリライを経て、『聖☆明治座・るの祭典』、『る・コン』、『心霊探偵八雲 祈りの柩』、『ドン・ドラキュラ』、『戦国無双 関ヶ原の章』、『K 第二章』、その他イベント諸々顔を出してきましたが、その「生々しさ」の色気を特に感じたのは『八雲』と『戦国無双』でした。*6

『八雲』は作品のキーとなる人物・宇都木賢人の抱えてきた罪の重さが四肢に滲むような怒りや悲しみや憎しみや苦しみに垣間見える「生々しさ」の色気を、『戦国無双』の戦乱の世を生きてきた真田幸村の曲げられない心や曲げられない信念が宿る穢れのない肉体の「生々しさ」の色気を見たような気がします。
特に『戦国無双』は、それ自体が映像のように美しく作り込まれた「生々しさ」とは対極にあるような作品だっただけに、安西くんの「生々しさ」は際立っていたように思います。それが良いのか悪いのかという話ではありませんが。

……とはいえ、安西くんは「生々しさ」からくる色気だけではなく、ダンスや殺陣のフィクション的な、もっと無臭で無機質な華やかさや美しさも勿論持っている(と思う)ので、例えば作品のオープニングやエンディングなどの作品の本筋とは別のところにあるシーンなどでは「生々しさ」よりもそちらの印象が強いなと思います。
ただ生々しいだけでは、原作ファンでフィクションのキャラクターを知っている方にこんな風に受け入れられることもないですもんね。……私の話が矛盾してるかどうかはもう面倒なので考えません。

そうして本日千秋楽を迎えたKステ。
こちらもまた原作は少ししか齧っていませんでしたので、とりあえず絶賛見ている最中です。

実は言うと、伏見からその「生々しさ」に由来する色気はさほど感じませんでした。
もしかしたらそれは伏見という人物そのものが、舞台から汲み取ることができる限り、「生々しさ」とは少しばかり離れた存在だからかもしれません。
実際に伏見がこの世のどこかに存在したとしても、きっと周りからは「トイレとかいかなさそうだけどとにかく『ミ〜サ〜キィ〜↑』ばかり言ってる人」と思われていそうですよね。ちょっと誇張しました。
ただ、「あの人(尊)は……もうだめだ」的な台詞と「器の大きい人は嫌い」的な台詞のシーンでは、少し彼の「生々しさ」が見えたような気がします。それは伏見というキャラクターの中身が見える台詞だからこそかもしれませんが、とにかくとても興奮しました。もはや性癖だわ。

でも、それより何よりも、安西くんは伏見のことを『K』という作品においては「生々しさ」を求められない位置付けとして捉えていたのかもしれません。
安西くんなら、今以上に彼を生々しいキャラクターにする事も、きっと出来たと思います。でも伏見に求められるのは「ミ〜サ〜キィ〜↑」に固執し、彼と敵対する、記号的なキャラクター部分であって、その人間じみた「生々しさ」ではない。「生々しさ」が乱立する作品は、時として作品の本筋をぼやけさせてしまう可能性があります。キャラクターそれぞれにもちろん人生があり生活があり物語がありますが、舞台もエンタメなのでどの物語にクローズアップするかは絞られてしかるべきです。

そう考えてみると、テニミュ……での位置付けはすこし置いておくとして、『八雲』の宇都木賢人も『戦国無双』の真田幸村も、キャラクターの「生々しさ」があっていい立ち位置の役です。
――なるほど、ということは安西慎太郎は、その作品におけるキャラクターに求められている「生々しさ」を演出し、それに見合った色気をまとう事ができる役者なのかもしれませんね。(強引なまとめで恐縮です。)


……という感じで、ファンの欲目全開で「安西慎太郎が持つ『生々しさ』の色気」について結論も何もないまま色々と雑ーに語ってまいりました。
2.5次元ミュージカルは、それを演じる役者に「3を2.5にするタイプ」と「2を2.5にするタイプ」がいるというのはよく聞く話ですが、安西くんは前者かなと思います。私が知っている役者さんの中で、後者は佐藤流司くんのイメージかな。


では、最後に「生々しさ」の色気以外で安西くんの好きなところを、数多くある中から二つだけ挙げておきます。

・最後までキャラクターと一緒に生きてくれるところ
カーテンコールが終わり舞台上からハケる最後の瞬間まで、Kステでは伏見は伏見のままだった。
いつでもそう。安西くんは、どんな特別な公演でも、どんな事態が起きても、キャラクターを宿したまま最後の瞬間を迎えてくれる。挨拶の時とかは、さすがに安西慎太郎に戻るけどね。
もちろんカーテンコールで泣いちゃったり、わちゃわちゃしたりしてるのを見るのも大好きです。元々役者が好きで作品を観に来ている場合が多いから、そんなオフショットみたいなシーン見られるのなんて寧ろご褒美だよ。
だけど最後までキャラクターと共に生きてくれるというのは、どんな観客に対しても平等だということだと私は思う。私のような役者ヲタに対しても、原作ファンに対しても、何となく観に来た人に対しても、キャラクターは同じだけの時間を観客と共有してきたという意味で公平だ。変な言い方をすれば、そうして最後まで平等に接することが、ひとつの商品として礼儀正しい形のひとつなのかもしれないと思ったりもする。
それに、最後までキャラクターでいてくれることで、彼は私たちにキャラクターとお別れする充分な時間をくれる。これが見納めだと思って安心して、安西くんが演じる彼を目に焼き付けることができる。
舞台作品は、例えDVD化したって、いつの公演が撮影されるのか分からないから、いま目の前にいる彼はその瞬間しか見られないと思って私はいつも臨んでいる。だからこそ、そういう彼の姿勢はとにかくありがたいことだなと思わずにはいられない。

・ダンスの時に右目を眇めるところ
これはもうわざわざ語ることでもないけれども、どうにも欠かせないところ。
『るの祭典』作中ユニットつついづつの『WEST and EAST』が分かりやすいと思う。サビの「勝負は一瞬さ」という歌詞のところで右目をきゅっと細くするのが、本当にもうたまんないエロスだ。
ほか作品のダンスでも度々やっていたし、『戦国無双』やKステのオープニングでも目撃したので、知らなかった!という方がいらっしゃればダンスのある作品などで是非確認してみていただきたい。きっと、右目です。それもまた、色気とは別の意味でとってもエッチで好き。


はてさて収拾がつかなくなったところで、次は『武士白狐 もののふ白き虎』ですね。千秋楽は都合で見られないのですが、東京と大阪に行くので今からとても楽しみです。
そして!『ARCADIA アルカディア』!まさかこんなに早くコクーンで、しかもあのキャストで、ああいう題材で、安西慎太郎が観られる日が来るとは!わくわくが止まりませんね。

今後も彼がどんなキャラクターの、どんな人生を見せてくれるのか、どんな「生々しさ」の色気で観客を魅了してくれるのか。期待に胸を膨らませながら、私は安西慎太郎を推していくと思います。
これだから、役者ヲタはやめられないです。



改行太字などなど模索しつつ読みやすくしていきたいですね。

*1:実はその前に舞台『コーパス・クリスティ 聖骸』でお目にかかっていたようなのですが、その当時の私の目的はイエスとユダの禁断の関係()にあったのでそれはカウントせずにおきます。パンフレットを捲ったら本当に安西くんがいて吃驚しました。

*2:友人のテニモンに1stのDVDを見せてもらったり、チケットを譲ってもらって観劇に行った事もあります。その時はあくまで友人の好きなものを見たという、ただそれだけでした。もちろん面白かったですけど!

*3:念のため、他のキャストがそうではないと言いたいのではありません。2ndの白石と金太郎に関してしか考察めいた熟考はできていないです。

*4:今はもうアラサーです。

*5:それがいいとか悪いとかではありません。寧ろあれだけキャラクター数のいる作品で、一人一人が個性を放ち、輝けているのは、愛されているのは、それぞれに「生々しさ」がないからこそだと思います。

*6:ちなみにこちらの二作も不勉強のため原作の方は触れてきておりませんでした。