推しのATMになりたい日常

推敲しない女です。

「俺と世界は同じ場所にある」を観て

「俺と世界は同じ場所にある」観劇してきました!
ああ〜アミューズの若手のこういう芝居見たかったの〜ありがとう大好きだよ〜〜心から感謝してる〜〜と思ったので取り留めなく感想など綴ってみます。
当日券もあるらしいので、ぜひ観に行ってみてほしい!という願いも込めつつ。私はあとは千秋楽です。

まず簡単にあらすじをば。一度しか見ていないので記憶違いがあったらすまない!推敲は相変わらずしていない!

静岡県三島市の成人式。大学進学のために上京していたポン(溝口琢矢は、久し振りに故郷の地を踏んだ。中学時代からの友人――大山(富田健太郎)ドテ(石原壮馬)と再会し、肩を叩き合って喜ぶポン。だが、当時一緒につるんでいたケン(三村和敬)カズキはなかなか姿を現さない。二人と連絡が取れないまま始まった成人式でテンションの上がった三人は、ポンが親に買ってもらった車でケンの家まで向かう。ケンは、工場で働くカズキとルームシェアをしながら地元の服飾系専門学校に通っていたが、最近実家に帰ってきたらしい。中学時代によくみんなで遊びに行った、ケンの家の離れを訪れたポンたち。だが、そこで会ったのは、ポンが知るケンとは全くの別人だった。更に、彼の変化に戸惑いを隠しきれない彼らの元へ「カズキが結婚した」との知らせが入る――。
「俺と世界は同じ場所にある」 │ アミューズモバイル

まとめるのが下手で恐縮ですが、こんな感じのお話でございます!
以下ネタバレご注意ください!


等身大の、リアルな、20歳という年頃の青年たちの感情や葛藤や想いが伝わってきて、ああ〜わかるよ〜と頷きたくなるシーンばかりでした。
20を過ぎた役者がやっても、きっとそれはそれで面白いものになるのだろうけれど、でも、彼らがいまこの作品をやることにとても意味があると思う。彼らがいま肌でひりひりと感じている想いが、この作品に重なっていたように感じました。
とりあえず、キャラクターと役者ひとりひとりについて、勝手に、簡単に語ります。


■カズキ
本編には、名前しか出てこないキャラクターなので紹介のみ。
眼鏡男子。ケンとルームシェアをしていたが、解消後、ずっと片想いしていた彼女(ドテの元カノ)と同棲し、プロポーズ。結婚後は新潟に移り住む。だが、仕事先の上司である工場長を殴って逮捕され、いまは長野の刑務所で服役中。
ドテいわく「恋愛と結びつかない」男(ドテは「カズキから告白されたことがある」と思っていたが、他三人いわく「勘違い」。しかし、ゲイなのかも、と思わせるくらいに色恋沙汰には無縁だった)。中学時代はポンと一緒にサッカー部に所属していた。心優しい男だが、工場長と上手くいっていないと悩んでいた。


■ケン/演:三村和敬
元服飾系専門学生、現引きこもり。専門学生の頃は、自分のファッションブランドを持つという夢を持つ明るい青年だったが、一緒にブランドを立ち上げようとしていた友達にデザインを盗用されて人間不信になり、学校を辞めて引きこもりになる。カズキとはルームシェアをしていたが、専門学校を辞めてから少しずつ距離が空き、ケンは実家に戻ることに。
ずっとケンを心配してくれていたカズキに「世界を変えてくれ。戦争や悪口がある世の中に疲れてしまった」と軽い気持ちで言ったことを謝りたいと思っている。
一年間外にも出ず部屋にこもってカップラーメンばかり食べていた。家族からはいないものだと思われており、人ともほとんど会話していなかったため、ポンたちと再会したときも最初はスケッチブックに文字を書いて意思を伝えていた。

志高く、夢を描いていた最中に、信頼を置いていた人に裏切られ、誰かを信じることが怖くなってしまったケン。再会したポンたちが、彼のあまりの変わりように困惑する様がすごくリアルだなあと思いました。腫れ物に触るような、でも、昔の彼を知っているからこそ、放っておけなくて、微妙な距離感で話をする。彼の相談に乗ってやりたいと思うけれど、多分どこかで、引きこもりというものを理解できずにいる。その距離感を、ケンもどこか感じ取っている。多分、お酒の力でも借りないとなかなか自分の意見が言えないタイプな彼は、その距離を前にますます言葉がうまく紡げずにいるような、そんなかんじ。
三村くんは初めてお芝居を見る役者さんだったのですが、とってもチャーミングでした。過去の回想シーンで代わる代わるみんなが色んなキャラクターを演じるんだけど、ドテの元カノの役のときの可愛さはんぱねえな!という気持ちです。


■大山/演:富田健太郎
フリーター兼ミュージシャン。春からは知り合いのコネで就職する事が決まっている。三島市ではタウン誌の表紙を飾るほど注目されていて、自称「三島のヒーロー」。
お調子者で落ち着きがなく、シリアスな雰囲気が苦手ですぐに茶化してしまいがち。平凡で恵まれた家庭に生まれたため、引きこもりのケンや、家族というものに敏感なドテの気持ちが分からないと自嘲するが、傷ついたり悲しんだりしている友人のことを放っておけない優しい一面を持っている。仲間に連絡を取るのはいつも大山発信。


一番過去が語られないけれど、ストーリーを回すという意味で役割の大きいキャラクター。大人になって変わった四人の中で、「一人だけ中学生がいるんだけど」と言われるぐらいに一番昔と変わらないのだけれど、でもそんな昔のままの彼がいまや「三島のヒーロー」なのだ。周りの空気を読むのがうますぎて、つい空気を読めない道化の役割を担ってしまうような人っているよね。彼はそういう、自分の立場やすべきことを悟ってしまっているような、ある意味で一番大人な人間だったのかもしれない。中学の時から。人が悲しんでいる姿を見たくない、なんてすごくヒーローっぽいな。中学時代のポンとは違う形で、もしかしたらそれは自分のための行為かもしれないけれど。
ケンがカズキからの手紙を読んで泣き崩れるシーンで、隣からそっと優しく、そして苦しそうに視線を向ける富田くんの表情がとってもよかった。コメディも吹っ切れてて要するにSUKI。


■ドテ/演:石原壮馬
フリーター。って冒頭で言ってた気がするけど、最後の下りでは大卒って話もしていたので、大学生?かな。(大学進学のためにバイトでお金を貯めているそうです/20151217追記)現在は、東京に住んでいる。中学生の頃には両親が離婚しており、母親と二人で生活をしていた。母親が付き合う男はいつもろくでなしばかりで、中学の修学旅行を当時母親が付き合っていた男に金を使い込まれてしまったために欠席したり、男と別れて家を追い出され土手の上で一週間ほど生活した事もある。そのため、ケンいわく「家族を傷つけられること」にひどく敏感である。
今はモテないが、中学当時付き合っていた彼女・アカネとは周りが苛立つほどにラブラブだった。だが、当時家庭が荒れていたせいで周囲にきつく当たる事も多く、特にアカネには八つ当たりしてしまっていたことを詫びたいと思っている。ちなみに当時は厨二病だった。

土手で生活していた頃、そのうち数日は母親もいなくて、一人で生活していたドテ。彼女に自分の家に来るよう誘われ「一人で生きる」と厨二病全開で拒んだものの、そのあとやってきたカズキの父親に強制的に家に連れ帰られて彼の家族の温かさを知る。だからドテはカズキが元カノや彼の家族を悲しませるような行為をしたことに怒りを爆発させた。
大人になった彼は、厨二病だった過去のことなんて嘘みたいにスカした兄ちゃんになっていて、いつだってどこか冷めた顔をしている。でも、「家族」というキーワードは、彼の心の中に変わらずにあったモノを爆発させてしまう。
壮馬くんってこんな風に演技するんだなあと思った。うまいかどうかは私には判断できることじゃないと思うけれど、表情の変化がすごくいいなと思った。眠そうにするシーンの顔が死んでる感じとか、キレるシーンでの目が据わってる感じとか、なんだろう、演じるというよりも内側の感情がそのまま表面に現れているような自然で素直な表現で、正直ちょっと驚いた。


■ポン/演:溝口琢矢
大学生。進学と同時に上京した。仲間の中では一番頭が良く、近々留学することも決まっている。裕福な家庭に生まれ、いまでも「パパ」「ママ」と呼ぶ両親から車や留学などの資金の援助を受けている。
三島にいる頃は、テストの問題が間違っている!と教師に抗議したり、ケンが転校しそうになった時に教室にバリケードを張ろうと提案するなど、レジスタンスを率先するリーダー的存在だった。
だが東京で、自分が井の中の蛙であったこと、非凡などではなかったことを知り、それをコンプレックスに感じるように。中学時代の友人には、自分が凡人であると知られたくない反面、常識から逸脱することができなくなってしまった。


ポンは、成人式に一人だけ袴姿で来てしまうような男の子です、それも赤の着物に龍の袴。それも、彼の「非凡でありたい」という想いを象徴しているようだなあと思う。
中学生の頃って、「俺(私)って最強だな」ってなぜか思えてしまう瞬間があるんだよね。根拠もないけれど、「無敵」だと思える。事実「最強」だし「無敵」なのだと思う。井の中の蛙だとしても、この頃にはヒーローと呼べるような子たちが必ずいて、彼らはいつだって自分の想いを言葉や行動にすることを恐れなかった。けれども、そんな人ほど大人になって「あの時は若かった」なんて口にしたり、「俺なんか普通だよ」と笑って言ったりして、でも、どこかでまだヒーローであった自分を捨てきれずにいる。
ドテに「昔はあんな風だったのに、なんでこんな大人になってしまったのか」というような怒りをぶつけられるシーンでの、ポンの表情がとてもよかった。ハンドルを握りながら、冷静を装っているようで、でも噛んだ唇が震えていて。反論はするんだけれども、自分でも本当はそう思っていることを悟られないように、直情的になったりはしない。
常識に縛られて、守られていることに安堵して、でも昔みたいに剥き出しだった自分が故郷には確かにいるから、こう、なんだろう、焦れったいし、恥ずかしいんだ。いまの自分が。それを他人から言われるのが、こういう人間にとっては一番痛い。
まさに「ああ〜わかるよ〜」というキャラクターでした。私もまさにこのタイプ。パンフレットにもありましたが、私が思い描いている溝口くんにも、少しだけ重なるところがありました。いや、溝口くんが平凡だと思っている訳ではないけれど!非凡だよ!でも、自分のことを「変人だ」って言ってるところとか愛おしいなと思うよ!ああ、だけど私が持ってる溝口くんのイメージは少し情報が古いから、いまはまた少し違うのかもしれないなと思ったりします。


カズキというキャラクターは、最初から最後まで舞台上に登場しない。
けれども、アカネからカズキか逮捕されたと聞いたあと、新潟から車で長野の刑務所に向かった彼らは、客席に相対する形でカズキと再会する。彼らの視線の先は客席に向かっていて、けれどもそこにカズキがいる。だからカズキと向かい合う彼らの感情が、本当にありありと伝わってきた。

一番、おっ、と思ったのが、「久しぶりに中学時代の同級生と再会する時」のぎこちない距離感の表現が、本当にリアルだったこと。
視線の置き方や、話し方や、自分のあるべきキャラクターや、呼び方を、少しおっかなびっくりになりながらも、昔はあんなに仲が良かったのだから今もそうでありたいと思う彼らには、きっと、少年から青年へとまさに成長しているキャストたちが感じ取ってきたものが投影されているのだと思う。
芝居は必ずしもリアルであることがイコール素晴らしいことではないけれど、この絶妙な空気感の中に描かれる人間模様は、そしてそこにある「何か」は、きっと今の彼らにしか表現ができない。今の彼らが演じてくれたからこそ、ああそうだこういうことがあったんだ、と彼らに同調して、自分の過去を振り返ることができる。

面白いだけじゃなく、彼らにとっての経験になるだけじゃなく、他の誰でもいけない、今の彼らにしかできない、今の彼らにしか伝えられない作品だったなと思う。
彼らがやることに、観客として意味を感じる事ができる舞台作品に出会えた事が私は本当に嬉しくて嬉しくてたまらないのだけれど、まだこの気持ちをうまくまとめることができないので、またいつか改めて書き記したいなと思います。

閑話――私がモンペになる時

時折ふと「事務所が推しをどう売りたいのか分からない」などというモンペ的(と言う表現が正しいのかどうかは分からない)発言をしてしまう事がある。
冷静に考えると「お前は推しのなんなんだよ」とも思うのだが、もう無性に不安になったり腹が立ったりする事が、まああったりもするのである。かといって、常にそんな風に思っている訳でもない。じゃあ、何故ふとそんな思考に陥る事があるのか。
私の場合は「推しの芝居や出演作が、自分の感性や価値観と合致しないとき」モンペ的発言をしがちだなと思う。
通常、チケット代は、その作品を観る対価として支払っている。例えば、推しの関係ないところで観た作品が、自分の感性や価値観には合わない作品だったとき、作品の価値+自身の経験値に支払ったものとして考えることが多い。
それが、もし推しが出演する作品だった場合、チケット代は推しへの投資になる。推しが出ているであれば、例え好きでもない作品でも観に行きたい、という時なんかはもう最初から投資の気持ちだ。
作品の対価としての支払いが、推しへの投資に変わると、その場での観劇欲的なものは結局満たされず、その先へ持ち越しとなる。将来的に私が好きな作品で返ってきたらいいな、と未来の彼らの作品に期待する。あるいは作品の外の活動(私の場合は認知・ファンサというより、演じる以外の仕事を指す)に、見当違いとわかっていながら見返りを求めたりする。
そういう時だ、ついモンペ的な発言をしてしまうのは。本当に、この先私が観たいものが観られる日が来るの?推しはそれを見せてくれるだけの役者なのに、それを観せてくれる舞台は用意されるの?事務所は彼をどういう役者として売っていきたいの?と。私が、私の、と言っているあたり何とも自分本位である。
よくよく考えれば、ただ単に自分の嗜好や価値観と彼の仕事が合わなかっただけなので、事務所がどうこうとかそういうことではない。そもそも自分が彼の仕事のターゲット層ではなかっただけである。だが、日頃推しに盲目になっていることがまあ多く、自分自身の価値観を変えようとも思わないので、まず推しや自分以外の部分に、その合わない原因を見つけようとする。それが続いて、ようやく、ああもしかして私の観たいものと彼の仕事の方針が違うんじゃないかと気付く。
最近は、そもそも私個人の価値観だけで判断した「合わない」の原因を他へ求めるのもおかしな話だし、でも趣味なのに苦しい思いをするのも面倒だなあと思って、推しへの投資だと言い聞かせながら自分の嗜好に合わない作品へ通うことをほとんどしなくなった。その劇団だからという理由だけで某劇団に通い詰めるのを止めたのも、結局自分勝手なモンペであることに疲れてしまったからである。もちろん、これは私の嗜好と価値観に合わなかったというだけで、彼らには何の非もない。
推しのATMになりたい、というのは、彼らになら何でもかんでも金を支払いたいというより、推しが提供してくれるエンターテイメントに対価として相応しいだけのお金を払いたいという意味だ。私が推している役者は、私の感性や価値観とうまく合致した作品に出演することが多いので、その気持ちになれることは割と常に保証されている。チケット代以上に私自身が価値を感じる作品なんかには、もっとお金を払わせてくれ!と思う。もし、そんな時に、その推しが自分とは合わない作品へ出演することが決まったら、間違いなく通うと思うが、それは先への投資というより、いま既に超過分未払いの気持ちだからである。
金、金、言いすぎている感があるのは貧乏性の性だが、要するに、観劇は趣味である。推しを推すのも趣味である。自分のための活動だ。事務所の方針がどうこうという話をするのも楽しいので引き続き素人目に色々と考えたいなあと思うけれど、自分が辛くならない程度で留めておきたいなと思う。

2015年上半期舞台・イベント個人的感想

2016年ももう間近に迫る、師走。
今年はとにかく現場に足を運ぶのを目標に、「現場百回」と刑事ドラマのようなものを掲げながら過ごしてまいりました。
ラインナップはかなり偏っておりますが、ぼちぼちと、今年に観た舞台やイベントのまとめなどをしていこうかなと思います。各月ごとに、印象に残った事などをざくざくと話していきます。
まずは上半期から。思い出した感想を、今後こっそり追加するかもしれません。


■1月

  • 新・幕末純情伝
  • 安西慎太郎 写真集発売記念イベント
  • 安西慎太郎&矢田悠祐 写真集発売記念トークショー
  • POTLUCK FESTA 2015
  • 超英雄祭
  • D-room8 心霊探偵八雲の会
  • 佐藤流司 写真集記念イベント

るコンのカウントダウンで幕が開き、元旦早々賀来賢人の新感線出演が発表された2015年。
1月はイベント系の参加が多かったです。
「新・幕末純情伝」は、テニミュ以外の小沼将太くんが観てみたい!という気持ちで行きました。泥臭いイメージのある新撰組ですが、若手キャストの清潔感と生真面目さが印象に残った作品でした。頭も育ちも良く、綺麗で純粋な感じが、やや題材にはミスマッチのようにも思えたのですが、桂や龍馬等のキャストが腰を据えて作品を力強く引っ張っていたので、安心して楽しめました。この時はじめて新国立劇場小劇場の舞台真横バルコニー席に座りましたが、正面からだと見えないような役者さんの表情が見えたのが新鮮で面白かったです。当たり前なんですけど、ああ客席から見えないところでも芝居は続いているんだなあと。
そして、安西くんのイベントにもいくつか足を運びました。テニミュ以外の素面の現場は初めてだったのですが、握手会の時は「もう花丸120点満点!」と言いたくなるようなコメントをくれて、お値段以上でした。矢田くんとの伝説のおでんつんイベントは、緊張しながらもリラックスした雰囲気で、口説きあったりふざけあったりしていて非常に可愛かったです。最後のハイタッチお見送りの時に、矢田くんに不意打ちで帽子を褒められて、うっかりテンションが上がってしまい、安西くんに何も言えなかったのは笑い話です。
POTLUCKは面白い試みだったのですが、イベント開催時間が予想よりも遥かに長く、最後までいられなかったのが残念でした。次もし機会があれば、きちんと見積もって予定を組みたいなと反省しました。
流司くんのイベントは、この子どんな子なんだろう〜という好奇心に身を任せて参加したのですが、ファンを飽きさせず萌えツボをガツガツ刺激してくれていて、こっちの沼はこわいぞ〜と思いました。


■2月

  • マーキュリー・ファー
  • 劇団プレステージ本公演「WORLD'ENDのGIRLFRIEND」 3回
  • 心霊探偵八雲 〜祈りの柩〜 3回
  • ママと僕たち
  • つかこうへいTriple Impact「ロマンス2015」
  • ママと僕たち 〜おべんきょイヤイヤBABYS〜
  • つかこうへいTriple Impact「いつも心に太陽を」

質の良い作品をたくさん観られた月だったなと思います。
「マーキュリー・ファー」は、もう一度観たい、でももう二度と観たくない、素晴らしい作品でした。誰もが壊れてしまった世界の中で一人だけ苦しみと過去を背負って愛する弟を守り生きていく兄と、バタフライというドラッグのようなものに侵されて過去を忘れ一時の快楽に生きる弟。そんな兄弟を演じるのが、高橋一生さんと瀬戸康史くんという最高のキャスティング。快楽に染まり辛い過去を忘れた弟への羨望、何も知らない彼への憎しみや怒り苛立ち、けれども真っ直ぐで純粋な弟を愛おしく想う気持ち、一度だけ彼を置いて苦しみから逃げ出してしまった過去の後悔、そして贖罪。そんな複雑に絡み合う感情を吐き出すように演じる高橋一生が狂おしくて、美しかった。水田航生くんが演じるダレンが、父親にカナヅチで殴られた頭の傷を「究極の愛」と表現して「もうこんな愛はこの世にはない」と主張するシーンがとても好きです。水田くんファンが非常に羨ましくなる作品でした。通うの大変だっただろうけど、精神的に。
「ロマンス2015」は、中屋敷法仁×つかこうへい作品が大好物すぎて、チケットを取ったのですが、鈴木勝大くんも池岡亮介くんも素敵ですっかり魅了されてしまいました。冒頭の鈴木くん演じるシゲルの女装は、揺るぎなくベストオブ女装2015だと思います。シゲルがタバコを咥えながら池岡くん演じる牛松の前に現れて、煙をふきかけるシーンが至高すぎましたありがとうございました。お二人ともメインのお芝居を拝見するのは初めてだったかと思います。当初イメージしていた鈴木くんはもっと渇いていて、無機質で、頭でっかちで、シゲルとは正反対な青年だったのですが、この作品で目の前に差し出されたのは、粘こくて生なましくて本能的なキャラクターでした。池岡くんも、どこか俯瞰で物事を見ているような、二次元的で、所謂Dボ(偏見)らしい役者というイメージだったのですが、彼の牛松は何もかもかなぐり捨ててしまうほどの愛に身を焦がして、愛に溺れて、愛を恐れて、のたうちまわって、ぶつけていく様が鮮やかな三次元の青年でした。もし、私が彼らのファンだったなら、まさにこういう役柄を演じている彼らが見たかっただろうなと思います。
「ロマンス」を観終えて、すぐに「いつも心に太陽を」のチケットを取って、翌週足を運びました。柳下大くんは、私の演劇という趣味に拍車をかけた役者さんだったのですが、お芝居を観るのは久々でした。もしかして「アメリカ」か「熱海殺人事件」ぶりかな。一見すると、「いつも心に太陽を」の方が「ロマンス」に比べて、作りも見た目もサブっぽいゲイさがあるのですが、キャラクターの精神や関係性はこちらの方がBLに近かったなと思います。柳下くんの泣きの演技の幅広さに、毎度感嘆しきりです。高橋龍輝くんは、テニミュ以外で(多分)初めてお目にかかったのですが、冒頭の独白が素晴らしくよかったです。こうしてまた好きな役者が増えていくのだなあと思います。
「WORLD'ENDのGIRLFRIEND」、劇団プレステージの公演は「サイキック・フライト(再演)」からの新参野郎ですが、一二を争う好きな作品になりました。外側を設定で固めてキャラクターを立てるのではなく、内側を掘り下げてキャラクターを深めているのに、作品への繊細な優しさや愛を感じました。あれを見たときの感覚に似ています、「青年Kの矜持」。特に、最近実力派の道を着々と歩んでいる、劇団員きってのイケメン(……と謳われていますかね?)平埜生成くんをメインに持ってきて、イケメンが武器にならない相手との物語を描いているのが非常によかったです。そして、千本桜ホールからシブゲキに移っての作品を観ながら「俺たちポンコツだけど応援してくれる方々のために頑張ります!」と繰り返されるのに少しばかり辟易していていたところだったので、この作品が、劇団プレステージという団体そのものに寄り添いすぎていないテーマであったことは、私にとって非常に大きなことでした。この前作の「ボーンヘッド・ボーンヘッダー」も、好きでした。
心霊探偵八雲は、安西くんの演技ってまじで生々しさの色気100パーセントやな!!という気持ちでした。生々しさの色気に関しては、もう散々前に書いたので割愛。演じるというより、宇都木賢人その人の魂の叫びを聞いているようでした。そんな風な安西くんのお芝居を観るのは初めてで、いつか焼き切れてしまうのではと最初のうちは思いましたが、見るにつれ、安西くんはその人の人生に自分を重ね合わせるのではなく、その人のものとして全うするから、一緒に心が引きちぎれてしまうことはないのかもしれないなあと思った次第でございました。
「ママと僕たち」、その場でDVD予約しました!楽しかった…楽しかった……!ママ僕は、昨年のネルフェスで観たのが初めてで「なんだこの頭のおかしい作品は!」と思って気にしていたのですが、こんなの楽しくないわけないじゃん…?見目麗しい男子たちが赤ちゃんになって、ママが一番とか言うわけじゃん……??若手俳優好きが行き過ぎると保護者的になる例があるのを熟知したネルケさんならではの最高にクレイジーで最高にキュートな作品でした!ここで、かねてより気になっていた原嶋元久くんに落ちましたどうもありがとうございました。


■3月

2月が非常に充実した月だったので、3月はまったり……とはいかなかった。
なんといっても大きかったのはNARUTO。推しがセンターに立っているだけで鳥肌が立ち、涙が溢れてくるという謎の体験をしました。こちらも、詳しくは以前語ったので割愛します。最初の数回は、カテコのキャストが自由すぎて非常に可愛かったです。
そして、ミュージカル「テニスの王子様」青学vs不動峰では、初めてテニミュの始まりを観ました。スタートラインに一緒に立って感じたのは、テニミュというシリーズは、観客自身が、キャストや作品とともに、これからの長い戦いを積み重ねていって、初めて完結する物語であるということ。3rdシーズンは、ぜひ彼らと共にゴールまで走っていきたいと思いました。ゴールテープの向こう側には、どんな景色が広がっているんだろう。わくわくします。


■4月

4月は、何と言っても「星の王子様」が素晴らしかったです。原嶋くんが最初の独白の言葉を発した瞬間に、ああ私はこの作品が好きだと思いました。そんな感覚を抱いたのは初めてでした。すっと言葉が体の隙間に滑りこんできて、じんわりと温かくなるような、そのまま心臓を指の先でそっと撫でて、それから大切に包み込みこんでくれるような、優しいお芝居でした。一番ぐっときたのが、二人で井戸を探しに砂漠を歩いている途中、寝てしまった王子を抱きながら飛行士が歩くシーン。王子のはかなさを知り、大切だと気付き、守りたいと思う想いが発する言葉のひとつひとつに滲んでいて、こんなに優しい気持ちがあるんだと、とても尊いものを見た気がして胸が苦しかった。死を目の前にして、ひとりぼっちで、それなのに、ずっしりと腕にかかる重みを愛おしく思う彼の言葉が、こんなにも刺さるものだとは思わずにいて、気付いたら涙が自分の頬を濡らしているなんて嘘みたいなことが起きていたのでした。作品としては本当にシンプルで、原作を時系列順に忠実になぞるだけと言えなくもない演出と構成だったのだけど、筋が静かな分、その上で動く役者の言葉や心の波がダイレクトに伝わってきたような気がします。もう一度観たいけれど、このたった一回を、これから先もずっと大切に胸にしまっておきたくなるような、そんな作品でした。


■5月

5月はあっちこっちで一生推せる〜ヽ(;▽;)ノと言っていた月でした。
飛天でのドライブイベは、なんというかすごいものを見ちまったぜ……という気持ちでいっぱいでした。竹内涼真くんの可愛さと尊さに目覚めました。ドライブについても、軽く前に書きました。ありがとうドライブ。ありがとう、ありがとう。
そうそう、初めて「滝沢歌舞伎」でジャニーズの舞台を観ました。豪華絢爛という言葉が相応しい、お金の贅沢な使い方を知っているエンターテイナーの作品だなあと思いました。観客の視線の動きを熟知したステージの作りに、感心しきり。私の好みとはピントが合わなかったのですが、でも一度は観て損がない作品だったと思います。二階最前センターにいたら、タッキーが目の前まで飛んできました。言葉通りです。キラキラしてた…あれがジャニーズ……(こなみかん)
戦国無双「滝口炎上」の安西くんは、とっても美しかったです。特に、今まで生々しさばかりを感じていたのですが、「戦国無双」の殺陣やダンスや「滝口炎上」のキャラクターには無機物的な冷ややかな美しさがあって、新しい一面を見たような気がしました。この話も、前にちょっとだけしたような気がします。「戦国無双」のダンスで目を眇めるのが本当にエロスだからけしからんもっとやれと思います。


■6月

6月、6月は濃かった。濃かったです。
まずは、「タガタリススム、の、的、な。」。これも、「天邪鬼」の記事で触れたので詳しくは割愛するけれど、非常に好みな作品でした。重ね上げられていく言葉、シーン、謎が、後半一気に解きほぐされていくのが気持ちよかった。ラストシーンが本当に好きです。余談ではありますが、「ありとあらゆる原嶋元久を堪能できたので膀胱死すとも悔いはなしだな」というツイートからお察しください。原嶋くんのクソ女装もありがとうございました。
「中屋敷法仁のナマ屋敷」は、今後公録があれば迷わずいくぜ!というような夢企画でございました。中屋敷さんが、玉城くんと細貝くんに「ちょっと二人で話してて、俺はそれ聞いてメモ取ってるから」的なことを言っているのを聞いて、あああそれ知ってる!おれたちだ!!!!!と思いました。色々なことを思ってメモをしていたはずなのですが、そのメモがどこかに消えたので、またどこかで。中屋敷さんが好きだなあと思うばかりの事故しかないイベントでした。まだ宮下雄也オールナイトイベに一度も行けていないので、次こそはと思っています。
そして、NARUTOシンガポール公演。海を越えて遥々行ってまいりました。久々に一人で海外に行ったのですが、現地で知り合った日本のファンと親しくさせてもらって、さほど孤独ではなかったです。渡航前からチケットのシステムがよく分からずに間違ったチケットを購入してしまって幾分無駄にしてしまったり、タクシーの運転手と謎の喧嘩をして英語のあまりの出来なさに呆れられたり、部屋にダブルベッドが二台に露天風呂までついてる豪華な部屋を一人で独占して枕を濡らしたり、劇場の近場に宿泊していたが故にキャストに遭遇してしまったり、と何だか色んなことがありましたが、世界という大舞台のセンターに立つ推しの姿を、ステージに一番間近な席で見られたということが何よりの宝物になりました。これから先、きっと件の推し松岡広大くんのステージを観に、再び日本の外へ足を運ぶ機会が来るのだと思います。けれども、彼の、世界という舞台の第一歩はここから始まった。それを見届けられたこと、そして、それを心の中に置いておけること、彼が役者として大きくなっていく様をこの目で観られること、それが何よりも幸福だと思っています。あああ、シンガポール公演もう一回みたい!


…………というわけで、下半期編に続きます。
今年の観劇予定が12/31まであるので、更新は来年かもしれません。

雑記――2.5次元舞台について交々

この記事を読んで、なんとなくぼんやりと思ったことを書き留めておきます。
主観に満ち満ちております。相変わらず推敲はしていません。

本当に、この方が語られている通りだなあと思います。




一部抜粋で恐縮です。

演劇を観るという習慣のない人にとって、5000円であろうが1万円であろうが、2.5次元舞台のチケットは決して安くない。ここで比べられるのは、他の演劇とではなく、他のエンターテイメントだ。様々なエンタメが無料化していく中で、この値段はどう考えても高い。(演劇にその価値がないということではなく、相対的に考えてという意味で)しかも映画とは違い、特定の場所へと足を運ばなければいけないという意味でのハードルも高い。
だから、その高さを乗り越えてでも観に行きたいと思うような、まさに強い動機こそが劇場へと人を呼び寄せているのだと思う。

先日少しツイッターでも触れたように、原作ファンの中には好きな作品が2.5次元舞台化されることに不安や嫌悪感を抱いている人も少なくない。
不安だけど、嫌だけど、でも大好きな作品が関わるなら観に行かずにはいられない。そういうオタク特有のコレクター欲のようなものを擽っているのが、2.5次元舞台だなと思う。……もちろん解禁された情報から期待大で観にいくファンも多くいると思いますが。
つまり、よっぽどビジュアルが忠実とかでない限り、演劇を観たことがない原作ファンに対しての敷居は全然下がっていない。そういうコレクター欲を満たさずにはいられない、ある意味で選ばれしオタクしか劇場へ足を運ばない。
原作を知ってるからちょっと観に行ってみようかな、と思えるような人は、おそらく2.5次元ミュージカルがどんなものかを知っている既存のファンか、あるいは懐が潤っているのどちらかじゃないかなと思う。
オタク以外の一般層については、むしろ二次元原作であることが敷居を高く……というかハードルを高くしているのではないかと思う。マンガ原作ものはオタクが観に行くもの、と私のリア充な友人は言っていたし、同じお金を出すならテレビで見るような役者が出演するシェイクスピアの方がよっぽど行きやすいとのことだった。ちなみに私はオタクであることをリアルの友達にはあまり公言していないので、2.5次元舞台が好きだとは告げたこともない。それはリア充の友人たちにとっては、2.5次元舞台こそオタクを極めに極めた(三次元にはまるで興味がないような)オタクだけが行くものと認識されているからであるけれど、この話はとりあえず置いておく。
……役者やスタッフなどの制作に携わる人たちのファンを除けば、そもそも原作を知っている人にターゲットが絞られるという意味で間口は狭くなっている。

そして、その間口が少しでも広く、より多くのオタクを抱える人気原作の舞台作品が、2.5次元舞台の入り口になる。
そこで役者が好きになったり、あるいは2.5次元舞台というもの自体が好きになったり、演劇というエンタメに抵抗がなくなったりした人たちが、それ以外の2.5次元舞台や演劇へ流れていっているのではないかと思う。
人気の高い作品を舞台化する。限られたオタクが観に行く。役者ファンが生まれる。2.5次元舞台そのもののファン、あるいは肯定者が増える。口コミで先の作品が話題になる。そこでファンに見出された役者が別の2.5次元舞台や演劇に出演する。演劇に抵抗のなくなった人、役者のファンになった人、口コミで興味を持った人などが観に行く。
更にその舞台化が、カンフル剤として人気原作が更に売れるきっかけになるのはもちろんだけれど、その人気作から何かを目当てに流れてきたオタクが次の2.5次元舞台原作の新しいユーザーとなる。コンテンツを保有している原作側としては、放っておいても売れる(もちろん放っておかないだろうけど)原作が更に売れるのはもちろんだけど、過去の作品の掘り起こしができる、既存の作品をもう一度売るきっかけができるという恩恵は大きいと思う。
そして、それがうまく循環するのは、間違いなく「自分の好きなものには高くても金を出す」オタクだからだ。

何が言いたかったかというと、2.5次元舞台の功績は、チケット代や足を運ぶ手間など初めて演劇を観る人にとってのハードルを、オタクをターゲットにすることで越えさせることに成功したことだって、その通りだなあということです。
一度ハードルを越えてしまえば、そこで魅力に気付いてしまえば、そこから先はアニメや漫画が絡まないコンテンツであっても「好き」と作品のヒキが合致する限り足を運ぶ。
オタクって本当に日本の経済回してるなあと思います。私もオタクであることにもう少し誇りを持って生きようとおもいます。
あれ、なんの記事だっけ。

ドリフェスお披露目イベント行ってきました――2.5次元アイドルとは?

ドリフェスのDear Dreamお披露目イベントに行ってきたぞ!
ということで取り留めなく感想というかなんというかをざっくりと綴ります!


◼︎ドリフェスとは
まあ詳しくはこちらを見てくれ!バンダイナムコグループ×アミューズが放つゲーム&アニメ連動プロジェクト青春!!!!!ユニット オーディション開催! | News | Lantis web site
プレスリリース:http://www.bandainamco.co.jp/cgi-bin/releases/index.cgi/file/view/5024?entry_id=4603

アミューズバンダイナムコグループ、ランティスBEAMSと名だたる企業が名を連ねる「2.5次元アイドル応援プロジェクト」。
無料アプリゲームを中央に置いた多次元プロジェクトで、ゲームに登場するキャラクターとキャストが連動して様々なメディアで活動するというもの。
2016年のアプリゲーム配信&ドリフェス!カードの発売に先駆けて、現在キャストによるCDのリリース、WEBラジオの配信が発表されている。
Dear Dreamのキャストは、石原壮馬、溝口琢矢、冨田健太郎、太田将熙、正木郁の5人。


こんな感じで大丈夫でしょうか!

私がドリフェスを初めて知ったのは、アミューズのオーディション記事。*1それが8月頭のことなのでそれから約3ヶ月。ここまで早かった〜!
ツイッターでオーディションの事が騒がれていて、当時アミューズの箱推しオタクが多い私のタイムラインでは『アミューズは何を始めるの??』やら『自分の推しが入ったりしないよね』やら『ハンサムライブがドリフェスになるのか…』やらで湧いていました。
オーディションが終わった翌日9/9に発表されたのが、先述のプレスリリース。そして一ヶ月後にキャスト発表。
まさか劇プレから壮馬くんと将熙くんが、そして溝口くんと富田くんがキャスティングされるとは思わずびっくりしました…!!

とにかく気合いの入ったプロジェクトだなあ、という印象です。告知解禁からこれまでの段取りといい、イベントに参加している関係者の数といい。

しかし、まだこの2.5次元アイドルとは一体何(誰)なのかが掴みきれていません。
今や演劇の1ジャンルを示す言葉としても使われている「2.5次元」。
原作つき舞台作品において、そのキャラクターを役者が演じるにとどまらず「なりきる」ことで、2次元でも3次元でもない立体的な架空のキャラクターがうまれる。それが、私が持つ2.5次元のイメージです。

今回のプロジェクトの発表当時、私はドルステ的なものなのかなーと想像しておりました。(ドルステはDVDで嗜んだ程度なので認識が間違っていたらすみません!)ドルステのアイドルたちがメインステージの延長線上で、ツイッターなどを実際に活用するような、そんな感じの。「役者」はそこから切り離され、彼らがなりきるアイドルそのものが、ただ目の前に存在するという。
もう少しいうと、Dear Dreamというアイドルグループの形のないキャラクター像がまずあって、それを2次元と3次元の彼らが共有するものなのかと思っていたのです。つまりキャストは演じるというより、なりきる、いやそれ以上に、2次元のDear Dreamとイコールになる。役者はそこに介在しない。

……ですが、彼らがキャスト発表後に新規で開設したり、あるいはプロフィール画像を新たにしたツイッターは役者の名義でしたし、bioには○○役と書かれていました。
そして本日のイベントは、ご本人名義での登壇。

「あれ……思ってたのと違うのかもしれない……??」

まるで制作発表記者会見のような関係者多数のイベントの中で、「自分が演じるキャラクターと自分との共通点をあげてください」という質問がありました。
登壇しているキャストとキャラクターの間に演じるもの/演じられるものの明確な線を引くその問いを聞いて、このプロジェクトにおける「2.5次元」とは舞台ジャンルとして用いられているものとは別物なのだなとはっきりと気付いた訳でございます。……と思ったらサインはキャラクター名義で???どういうことだ????

ここでの「2.5次元」とは一体なんなのでしょうか。
2次元3次元にこだわらないメディア展開をするコンテンツというだけなら、今まであったコンテンツと変わらないのでたぶん他に何かがあるのだと思います。それがきっとこれから明かされていくんでしょう。アプリゲームのキャラクターに声を当てる、彼らの声で歌う、ライブをするだけなら、彼らが俳優を生業としているというだけで既存のアイドルゲームと全く同じだし。
もしかしたら本人名義なのは今回のお披露目イベント限りで、今後のイベントは2.5次元アイドルとしてなりきってくれるのかもしれないし!
あっ、それとも「2.5次元」は「アイドル」じゃなくて「応援」という言葉に掛かっている…のか!??

そして、美麗なキャラクターイラストを担当されている秋赤音さんは、ニコニコ動画で知名度の高い歌い手&描き手さんとのこと。
しかしアイドルもののアプリゲームをプレイする層と、ニコ動のユーザー層は結構重ならない部分が大きいのかなあと思っていたのですが、どうなのでしょうか。もちろん男性版アイカツ、との評判で惹かれるアプリゲームユーザー層も多いと思うのですが。
キャストの方も確かに既に活躍されてる方がほとんどだけれど、ファン層は2.5次元作品のファン層とは違うはず。
しかしまあ素人目に見た事しか私も知らないので、何かきっと思惑があって、私が気付けていないだけなのかもしれないですし。


……とはいえ、イベントで見た彼らはとてもとても素敵でした!

遠慮を知らないぐいぐいヤンチャ系主人公気質の壮馬くん、落ち着いているように見えて実は抜けてる天然な溝口くん、場慣れしているようなある種の軽薄さを醸し出しつつもツッコミポジションを確率する富田くん、劇プレで培われた(笑)ハチャメチャさで掻き乱しつつも流れを作る将熙くん、緊張と初々しさの中にも真面目さとハングリー精神が垣間見える正木くん。
それぞれの個性がきちんとあって、キャラクターが立っていて、「ああ〜でもやっぱりアイドルってこういうことだよな〜」とアイドルを推したこともないのに思いました。
今後も彼らが「なりきらない」なら、いっそ彼らのパーソナルな部分をそのまま2.5次元アイドルたちにも組み込んだらいいのに〜!と思ったけれど、それだとまた「2.5次元」とは違うものになりますかね。

なんにせよ、キラキラと輝いていた彼らがこの先どんな風に活躍していくのか楽しみです。
そして早くライブに行きたいです……!!!リリイベやってくれ!

*1:その頃はまだドリフェスというタイトルが発表される前でした

仮面ライダードライブについて交々――いつかまたひとっ走り付き合うよ

初めて、仮面ライダーというものを、特撮というものを、追いかけた一年でした。
正直に申し上げますと、見てない回もあるし、映画も見れてないし、イベントも飛天とファイナルしか行けていないので、特撮ガチ勢からすると「追いかけたって言わねーんだよそれは!」とお叱りの言葉を受けてしまいそうですが、それでも私にとっては本当に新しい体験でした。

今まで私にとって特撮は、私にとってテニミュが昔そうであったのと同じように、少し距離のある遠い沼でした。
毎週日曜日の早朝決まった時刻にテレビをつけ、イベントにも足繁く通うファンの熱に気圧され、まあ私には縁のないコンテンツだろうなあと他人事のように思っておりました。

そんな私が特撮に触れるきっかけになったのが稲葉友くん。
デビュー作「クローンベイビー」で初めて出会った彼と、中屋敷演出作品「露出狂」や「飛龍伝」で再会し、間宮くん周辺の役者さんたちとの仲睦まじい様子を微笑ましく眺めつつ、「クロードと一緒に」でがつんと強い力で惹きつけられ、「フランダースの負け犬」でその役者としての魅力を知った矢先の出演。
私が箱推しして止まないアミューズ事務所の松島庄汰くんの出演もあって、ついに私はこの沼に足を踏み入れることとなりました。

「えっ?稲葉くんがライダー?嘘でしょ?」と、今まで観てきた舞台作品とのギャップに困惑と驚きで戸惑いつつ、ツイッターで「ドライブ観ます」と宣言したら「来年の秋にあるファイナルだけは、絶対に観に行った方がいいよ!」と周りの方々が親切に教えてくださいまして……こうしてこの日を迎えたのであります。

作品の話は、色々と見切れていない今、まだできる気がしないのですが、とにもかくにも本当にキャストの皆様の成長を感じた一年でした。
特に竹内涼真くん。飛天の時、竹内くんが泣いてしまった時「ああこの子は噂のファイナルでどうなってしまうのだろう」と思いましたが、今日彼が流した涙はしっかりと成長した主演のそれでした。
一話ではまだスーツに着られていた彼が、経験豊富なキャスト陣に支えられていた彼が、舞台の真ん中でキャストみんなに声をかける様にとても胸を打たれました。
ひとりひとりにそうして感謝しながら、彼らの期待に恥じぬように一年間必死で食らいついてきたのだろう彼は、表情からして一年前とはまるで違っていた。かっこ悪いところも情けないところもいっぱいあっただろうけれど、ドライブというヒーローは、今となってはもう君しか考えられないよ。

最後の挨拶で一番最初に堪え切れなくなった稲葉くん。今まで踏んできた場数が多いからこそ、そしてそのポジションだからこそ、負っていた責任や想いも大きかったんじゃないかなあと考えてしまうけれど、そして「斜に構えてしまう」彼だからこその悩みもあっただろうけど、彼がいなくてはこのチームはまとまらなかった。最初は稲葉くんがこんな風に泣き崩れるほどこの作品に思い入れができるようになるなんて、思ってなかったよ、本当に勝手にそう思ってたよ。
そして、個性の強すぎるキャラクターで最後までその役まわりに徹していた庄汰さん。居酒屋庄汰でのぬるぬるっとしたトークの印象が強かった彼ですが(笑)、私はドライブを通じてアミューズという箱にいるときには気付けなかった彼の魅力を知ることができました。きっと真面目で、人一倍周りを気にしてる。こんな人だったんだなあ、と数年間彼を見ていたのに今更のように思いました。
ドライブという作品に出会うきっかけをくれた、二人に感謝です。

そして、飽き性な私がこうして追いかけ続けられたのは、ツイッターの力が大きいと思います。
彼らの何気ないやりとりや写真が、少しずつ親密さを増していくとともに、チームの絆が深まっていく様が見えるのはとても楽しかった。作り手が見えるものが売れる時代に慣れた私には、やっぱり作品をつくりあげている彼らの表情が見えることが、一番安心に繋がるのかもしれないなあと思ったりもします。


昼公演の時に、竹内くんが客席の子供に「君がハタチになって、俺が40歳くらいになっても、進ノ介って呼んで」と、「約束ね」と優しく呼びかけました。
ドライブを観ていたすべての子供たちにとって、竹内くんはいつまでもヒーローであり続けてくれる。それってすごいことだなあと思います。
竹内涼真という役者にとっては、この役も、彼がこれから先に演じていく多くの役のひとつであって、彼はこの先今の彼が想像もしないほどのかけがえのない役に出会うかもしれない。
けれどもそう言って子供たちに「約束」ができるくらいに、そして子供たちにとってそうであるように、大切で特別な存在として、泊進ノ介という男のことが彼の胸に深く刻まれたのだなと思うと幸福感でいっぱいになります。
私の大切な作品に対して、彼も同じように思ってくれている。どんな言葉よりも、私はその「約束」が心に沁みました。

今後また彼の、彼らの作品に出会うことがあったら、そのときは彼らが全力疾走で駆け抜けていくその傍らを共に走りたいです。だから、そのときはまた、ひとっ走り付き合わせてね。


とりとめなく、推敲もせず、勢いで書いてしまいましたが、素晴らしい作品とキャストと、共に過ごせた一年間。本当に幸せでした、ありがとう。

そして本日、私は私自身が蕨野さんに落ちる音を聞きました。推します。推しが今日もまた増えました。
お後がよろしいようで。

『クロードと一緒に』2014年版感想ツイまとめ

ふと思い立って自分用のメモに、2014年版の『クロードと一緒に』両キャストの感想ツイをまとめておきます。

―――――
2014年5月18日(日) 22:20
青山円形劇場「クロードと一緒に」稲葉伊達回・相馬伊藤回、立て続けに観た!稲葉イーヴは大小の爆発の連なり、相馬イーヴは波のような激しい強弱だった。感情の表現から、イーヴという役の精神の成熟度というか若さというか年齢差というか、を感じました。感想をぽつりぽつりと呟いていきます。

2014年5月18日(日) 22:23
【18稲葉伊達】マスコミが追い払われた後。沈黙。刑事を見つめるイーヴの瞳に、ゆっくりと浮かび上がってくる涙。それが溢れるのが先だったのか、彼の中ですべてが弾けるのが先だったのか、あの瞬間から始まったイーヴの告白を、息をするのも忘れそうになるくらい全身で聞いた。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:24
【18稲葉伊達】イーヴの姿が滲んでぼやけて全く別の誰かに見える瞬間が度々あった。誰かは分からない、誰でもない、誰か。彼の感情が空間を支配して、その全身が大きくなったり小さくなったりした。すべてを話し終えてしまうと彼は本当に空っぽになってしまったのだと分かった。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:26
【18稲葉伊達】肉の内側をひっくり返してみても血液さえ絞り取れない気がした。カーテンコール、同じ表情でイーヴが出てきた時、胸が苦しくなって、もう観たくないのにずっと観ていたくて、早く彼が稲葉氏に戻ってほしいと思うのに、ずっとイーヴでいるのではないかとも思った。 #クロードと一緒に

0214年5月18日(日) 22:39
【18相馬伊藤】同じシーン、イーヴがどういう表情を浮かべればいいのか分からなくなってしまったように頬を震わせるのが見えた。そこを涙が伝い、唇に溜まってキラキラ光っていた。それまでの彼は何かを取り繕うような、目を逸らしているような、虚勢を張るともまた違う、 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:40
【18相馬伊藤】そういう態度だったのがふと解けて、水面の上でほぐれて広がって、波のように揺らめくのが見えた。彼の独白には稲葉イーヴのものとは違う脈絡があった。言葉の脈絡じゃなくて感情の脈絡。目から体の内側に彼の想いがすうと入り込んできて侵食していくようだった。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:42
【18相馬伊藤】部屋のドアが叩かれイーヴと刑事は無言で見つめ合う。しばらくしてふっとイーヴの口元が解ける。まるで糸が切れたように。それから彼は部屋を出る。カーテンコール、イーヴは速記者に腕を引かれて出てくる。自分の足で立っているのもやっとというほどに力ない。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:45
稲葉イーヴは一気に力を使い果たしたように空っぽになり、相馬イーヴはじわじわと体を蝕まれて終息したような、そんな風に見えた。感情の表現の仕方もそう。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:46
感情表現の点と線の違いが、そのままイーヴの役の成熟度や若さに思えた。稲葉イーヴは若い。冒頭から怯えて強がってみせる子供のよう。クロードのことをまるで聖者かなにかのように盲目に慕っている。彼とクロードとの行為はまるで神聖な儀式か何かのようにも聞こえた。個人的に。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:49
相馬イーヴは、稲葉イーヴより大人びていて、すべてを諦めていながら、クロードのことだけは胸の奥深くにしまいこんでいるような気がした。等身大の男として、彼を愛しているようだった。彼らはもっと生々しい行為をするんだろうと思った。個人的に。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:50
相馬イーヴが語るクロードは、それくらいの歳の男がするように、普通にイーヴを騙していたりもするだろうと思った。個人的に。 #クロードと一緒に

2014年5月18日(日) 22:50
あ、そっか。稲葉イーヴは少年で、相馬イーヴは女だったのかな。それに近いかな。いや。うーん。 #クロードと一緒に
2014年5月18日(日) 22:51
――――

松田凌くんの2015年版を観られなかったのが本当に心残り。

『クロードと一緒に』という作品は、役者にとって、とても苛酷なものなのだろうと思う。人によっては、それからの役者人生ががらりと変わってしまうほどに。
私は当時この作品を観たときに、キャラクターの感情だけでなく、それを演じる役者のすべてが目の前に曝け出されているように感じた。
具体的な彼らの性格や人生というよりも、その役者の根本が、役者という人間そのものが、私の目に見えたように思った。彼がどういう風に怒り、悲しみ、笑い、愛するのか。この作品はすべてを暴き出してしまう。

でも、だからこそ、私はその「生々しさ」に強く惹きつけられ、いまでも度々思い出すんだろう。観ている時の疲労感はすごかった。でも、それだけの物を観てしまったという満足感が確かにあった。

余談ですがイーヴをぜひ演じてほしい推しは、安西くんと間宮くん。ふたりがイーヴという人物をどう生きるのか非常に興味がある。
生成も、かな。観てみたいというより、この作品を通じて彼がどう変わるのかを見てみたい。(賀来)賢人と原嶋くんは、ちょっとだけこわいかもしれないな。でもそうやって妄想してる時点で、多分かり観てみたいと思ってるんだろうけど。