推しのATMになりたい日常

推敲しない女です。

雑記――2.5次元舞台について交々

この記事を読んで、なんとなくぼんやりと思ったことを書き留めておきます。
主観に満ち満ちております。相変わらず推敲はしていません。

本当に、この方が語られている通りだなあと思います。




一部抜粋で恐縮です。

演劇を観るという習慣のない人にとって、5000円であろうが1万円であろうが、2.5次元舞台のチケットは決して安くない。ここで比べられるのは、他の演劇とではなく、他のエンターテイメントだ。様々なエンタメが無料化していく中で、この値段はどう考えても高い。(演劇にその価値がないということではなく、相対的に考えてという意味で)しかも映画とは違い、特定の場所へと足を運ばなければいけないという意味でのハードルも高い。
だから、その高さを乗り越えてでも観に行きたいと思うような、まさに強い動機こそが劇場へと人を呼び寄せているのだと思う。

先日少しツイッターでも触れたように、原作ファンの中には好きな作品が2.5次元舞台化されることに不安や嫌悪感を抱いている人も少なくない。
不安だけど、嫌だけど、でも大好きな作品が関わるなら観に行かずにはいられない。そういうオタク特有のコレクター欲のようなものを擽っているのが、2.5次元舞台だなと思う。……もちろん解禁された情報から期待大で観にいくファンも多くいると思いますが。
つまり、よっぽどビジュアルが忠実とかでない限り、演劇を観たことがない原作ファンに対しての敷居は全然下がっていない。そういうコレクター欲を満たさずにはいられない、ある意味で選ばれしオタクしか劇場へ足を運ばない。
原作を知ってるからちょっと観に行ってみようかな、と思えるような人は、おそらく2.5次元ミュージカルがどんなものかを知っている既存のファンか、あるいは懐が潤っているのどちらかじゃないかなと思う。
オタク以外の一般層については、むしろ二次元原作であることが敷居を高く……というかハードルを高くしているのではないかと思う。マンガ原作ものはオタクが観に行くもの、と私のリア充な友人は言っていたし、同じお金を出すならテレビで見るような役者が出演するシェイクスピアの方がよっぽど行きやすいとのことだった。ちなみに私はオタクであることをリアルの友達にはあまり公言していないので、2.5次元舞台が好きだとは告げたこともない。それはリア充の友人たちにとっては、2.5次元舞台こそオタクを極めに極めた(三次元にはまるで興味がないような)オタクだけが行くものと認識されているからであるけれど、この話はとりあえず置いておく。
……役者やスタッフなどの制作に携わる人たちのファンを除けば、そもそも原作を知っている人にターゲットが絞られるという意味で間口は狭くなっている。

そして、その間口が少しでも広く、より多くのオタクを抱える人気原作の舞台作品が、2.5次元舞台の入り口になる。
そこで役者が好きになったり、あるいは2.5次元舞台というもの自体が好きになったり、演劇というエンタメに抵抗がなくなったりした人たちが、それ以外の2.5次元舞台や演劇へ流れていっているのではないかと思う。
人気の高い作品を舞台化する。限られたオタクが観に行く。役者ファンが生まれる。2.5次元舞台そのもののファン、あるいは肯定者が増える。口コミで先の作品が話題になる。そこでファンに見出された役者が別の2.5次元舞台や演劇に出演する。演劇に抵抗のなくなった人、役者のファンになった人、口コミで興味を持った人などが観に行く。
更にその舞台化が、カンフル剤として人気原作が更に売れるきっかけになるのはもちろんだけれど、その人気作から何かを目当てに流れてきたオタクが次の2.5次元舞台原作の新しいユーザーとなる。コンテンツを保有している原作側としては、放っておいても売れる(もちろん放っておかないだろうけど)原作が更に売れるのはもちろんだけど、過去の作品の掘り起こしができる、既存の作品をもう一度売るきっかけができるという恩恵は大きいと思う。
そして、それがうまく循環するのは、間違いなく「自分の好きなものには高くても金を出す」オタクだからだ。

何が言いたかったかというと、2.5次元舞台の功績は、チケット代や足を運ぶ手間など初めて演劇を観る人にとってのハードルを、オタクをターゲットにすることで越えさせることに成功したことだって、その通りだなあということです。
一度ハードルを越えてしまえば、そこで魅力に気付いてしまえば、そこから先はアニメや漫画が絡まないコンテンツであっても「好き」と作品のヒキが合致する限り足を運ぶ。
オタクって本当に日本の経済回してるなあと思います。私もオタクであることにもう少し誇りを持って生きようとおもいます。
あれ、なんの記事だっけ。