推しのATMになりたい日常

推敲しない女です。

ドリフェス!始まります!

私が愛したコンテンツ、ドリフェス!が今日終わる。
ドリフェスとユーザーの関係性は千差万別で、コンテンツに対して色々な見方があるだろうと思うけれど、私がこのファイナルのステージ・日本武道館の1日目で感じたことをつらつらと書いてみたいと思ったので久しぶりにブログをしたためている。
自分用のメモなのでとりとめなくネタバレもしています。脈絡はありません。



1日目、10月20日
実のところ、「ALL FOR SMILE!」の時点からステージ上に揃った7人の姿に涙がこみ上げるのを止めることができずにいた。
本当にこれが終わりなんだろうか、この曲を、彼らの姿を、こうして肌で感じることができるのもあと2回きりなのか。と、夢でも見るような心地でいる私に、涙を流しすぎるせいでじりじりと痺れはじめた手と頬が現実を突きつけていた。

そして、石原壮馬as天宮奏のソロ曲「Run After Blowin' Wind!」のイントロが、あの、武道館に響き渡る。その瞬間に、色々な感情がたちまち爆発した。

私にとって、ドリフェス!は、石原壮馬と天宮奏が紡いだ物語だったのだ。
ふとそう思った。震えと嗚咽が止まらなくなって、持っていたペンライトを膝の上に投げ捨て、タオルで顔を覆った。(2階の最前列だったので座っての参加だったのでした。)

ドリフェス!は、「ドリフェス!始まります!」という天宮奏の声で始まるコンテンツだ。そして、イベントの始まりを告げるのも、終わりを告げるのも、その多くがセンターである石原壮馬の声だ。
そして、武道館1日目の最後を締めくくったのは、14人の感謝の言葉を先導する奏と壮馬の二人の声だった。

私は長年俳優のオタクをやってきて、それ以外をあまり知らないので、グループやユニットでの活動をする人たちを応援するというのはこれが初めてである。だから、グループのセンターがどういうものなのかということはよく分からない。
最初は舞台演劇の座長のようなものなのだろうと思い描いていたのだけれど、もしかしたら違うのかもしれないと最近は思っている。
演劇は、あらかじめ終わりや展開を定められたある種完成した物語だ。もちろん、そこに役者の芝居や演出やそれ以外の色々な要素が盛り込まれ、そして観客の前で上演されて初めて完成するものではあるのだけれど、本の上では終わりと始まりが定められている。その枠の中でそれぞれの表現を重ねるものが、一般的に見る演劇のスタイルではないかと思う。
だけど、彼らの活動は違う。いや、実際は、大人たちが描いたプロジェクトという名の、既に完成された物語に緻密に組み込まれていたものなのかもしれないけれど、でも少なくとも、一般的にいうアイドルやアーティストの活動というものは、あらかじめ定められた終わりはない。
……もしかしたら、彼らの活動は、その狭間にあるものなのかもしれないけれど。

ともかく、俳優である彼、石原壮馬に、果たしてDearDreamというグループの、そしてドリフェス!というコンテンツのセンターを務めるにあたって、どのような苦悩があったかは分からない。おおよそ普通に俳優だけの仕事をしていたら味わうことのないようなことも多かっただろうと思う。責任感による重圧もあっただろうし、自分が本当にやりたいこととのズレに思い悩むことだってあったかもしれない。彼がどんな気持ちで、物語を初めて、そして終わらせるのか、私たちに知ることはできない。

だけど、私が知るDearDreamやドリフェス!は、間違いなく、石原壮馬と天宮奏を何かしらの軸にして成立していたんじゃないかと個人的に思う。
私の目には、石原壮馬が編み出す言葉が、天宮奏が誰かにもたらす感情が、彼らの、そして私たちの物語を形作っているように見えたのだ。
サイエンスホールの隣の武道館に立ちたい、という壮馬の言葉が最たる例である。壮馬がそう言ったから武道館での公演が実現した、とかそういうことを言いたいわけじゃない。この公演がどのようにして組まれたのか私たちに知るすべはないし、ファイナルの舞台が武道館になった本当の意図を少なくとも私は知らない。
だけど、壮馬が武道館が夢だと言った。もし、それがなくたって、武道館での公演というものはアーティストとしてのひとつの夢であることに間違いない。
でも、壮馬がそうして夢を言葉にしたことで、彼らの武道館での公演は、単なる公演ではなく、『夢の実現』という物語を手にしたのだ。

いままで、奏と壮馬が発した言葉が、彼らの物語が向かう先を指し示してきた。奏がそうだから、周りの彼らはそれに突き動かされた。壮馬がそうだから、周りの彼らがこうしたい・こうしようと思うことがあったかもしれない。彼がそう言ったから、私たちの、私の目に、武道館は『夢の実現』に映った。

すべては想像でしかないのだけれど、私は、天宮奏が石原壮馬だったから、いまのドリフェス!が生まれたのではないかと思う。もしセンターが別のメンバーだったら、まったく別の誰かだとしたら、私が愛したドリフェス!ではなかったかもしれない。それは、もちろん、奏と壮馬だけではなく、メンバー全員に言えることだ。
だけど、天宮奏は、石原壮馬は、DearDreamとドリフェス!の確かな要だったのだ。少なくとも私はそう思いながら、彼の、歌声を聞いていた。


明日、私が愛したコンテンツが終わる。
いまは悲しくて寂しくて仕方がないけれど、奏と壮馬が、そして、14人の彼らが、私の明日をその先へと続く何かにしてくれるんじゃないかとそう思いたい。奏と壮馬が、彼らを、私たちを最高を超えたステージへ、明日へ、連れて行ってくれるのだと信じたい。
だからいま眠れないのは、不安だからじゃなくて、その先への期待に胸が膨らんでいるからなんだろう。きっと。